古紙マークの覚醒日記

自分の覚醒していく感覚を言葉にしたい。

私なりの勝因 part1

こんにちは、古紙マークです。

皆さんは何がビジネスや勉強、スポーツにおいて勝ちや勝利の必要条件とはなんでしょうか。前もって宣言しますが、第一線で戦い圧倒的な強さで戦うことを目的として記述します。当たり前かもしれませんが、私は現時点で量と内容と方法の三要素の全てが洗練されていないと他人より数段うえの結果は残せないのではないかと考えています。確かに、要領よくどれかをこなしたとしても、いい結果は得られますが、その要素の全てが揃った相手と対峙してしまうことになるでしょう。資本主義社会とは私は競争の社会だと認識しています。その上で、最前線で戦い抜くには、他人と違う洗練された、量、内容、方法の三要素が不可欠なのではないのだろうか。

 まず量の重要性は言わずもがな大事である。例えどんなに良い性能のパソコンであったとしても電力がパソコンを動かせるほど出力できなければ役に立たない。これは人間においても継続して極めたいものに打ち込むというのは相当なエネルギーがいる。

そこで習慣という人間がもっている性質(方法)を利用しなければならない。話の本筋を戻すとやはり人と差をつけたかったら人より努力しなければならないのは真理なのかもしれないですね(こんなこと言っていますが、私もやらなければいけないことを先延ばしにしてしまいがちですが(´・ω・`))

 内容と言っていましたが、ここでの意味は何を行うかということです。皆さんは人間が一番成長できるとよくクリシェとして使われているエリアはご存じだろうか。それはコンフォートゾーンを少し離れたところだ。あるところではスウィートスポットと言われていたりもする。このゾーンではいつも慣れているゾーン(コンフォートゾーン)を逸脱して、いつもよりキツい、限界と思える時ほど人は成長していると言われています。それもそのはず、部活などを思い出して欲しいのですが、いつもと同じもしくは楽な練習をしている人が、いつもよりキツい、限界まで迫る勢いで練習している人とどちらが成長しているかと聞かれれば火を見るよりも明らかだ。

 ここからは少し休憩がてら私の内容の経験的、感覚的な話であり、共感または反論がある方はどんどんコメントをして議論し、私も深く学ばせて頂きたく思います。

 それは表に出ない裏の論理、法則、抽象化されたもので、その一つの抽象論で柔軟に表の事象が説明されているという感覚のもので。一見すると長く、複雑な居様であった盤面が、うまく、絶妙に要点を汲み取り収納されたいわば裏の論理とでもいうものが、

私は大事なのかなと思います。

 例えばこれは数学や物理、知のスポーツをするときに特に重要だと思います。なぜなら私が数学のある難問の答えをなんとか理解しようとした時に、急に閃きが降ってきて「つまりこういうことだ。」と一連の問題があたかも簡単であってそれが似たような問題が出てきたときに、応用、原理を適用できるという神がかり的なことが起きました。

それは単にわかったというわけではなく、いつでも再生でき、コンパクトにまとまるものであります。私は将棋が好きでやっているのですが、その時でもなぜこの手を指したのかという表に出ない論理を汲み取り、その後調べてみると当たっている、ということがたびたび起こり、そういう見えない論理のスポーツが将棋であるのだなと思いました。

 長いのでpart2に行きます。駄文でしたが読んでくださり有難うございました。